ちょこらく喫茶店

ああ、身も蓋もない

好かれようとするほど嫌われる

 

ちょこらく喫茶店の中屋裕喜です。

 

 

 

相手の態度の悪さが原因で、何かがうまくかみ合わない。

そういう相手とも一緒にことを進めなくてはいけない場合、どうやったら気分を変えることができるのだろう。

私はそんなふうに悩むことがあります。

 

ひどいいじめに遭っているとか、心身がボロボロになってしまったときなんかは、そのコミュニティーの仲間でいることをやめてしまえばいいです。

けど、そうじゃないんですよね。

そこまでってほどじゃない小さなあれこれをですね、

清濁併せ吞むてかっこうで生きていけたらいいんだがなと思うのであります。

 

 

 

「他人には他人の人生がある」

そう思えばいいんですね。 

かの有名な「自己啓発の父」アルフレッド・アドラーの教えです。

 

「あなたのために他人がいるわけではない。『〇〇してくれない』という悩みは自分のことしか考えていない何よりの証拠である」

      

これはアドラーの言葉の引用です。

本の一説から抜粋しました。

「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉」小倉広/著 

ダイヤモンド社 定価1600円+税

 

 

いつも機嫌の悪い人、そんな人がいてもいいんだと思えました。

ある人に対しては取り入って、別のある人に対してはこき下ろす。

そんなふうにする癖のある人がいてもいいんですね。

皆、自分の人生の主人公なのですから、どんなふうに生きるかはその人だけが決められる。

そういったことを教えてくれる言葉でした。

 

それでですね、はたと気が付いたのであります。

わたくしは相手の心をコントロールしようというとんでもなく失礼なことを試みていたのではないでしょうか。ああ申し訳ない。

 

 

 

 

 

人は多かれ少なかれ、自分が気持ちよく過ごせるためにお行儀よくしているものですが、それを知らぬ間に相手にも強要しているともいえそうです。

 

誰が不機嫌だろうが、不愛想だろうが、意地悪だろうが、それはその人の自由。

どんなときでも感じよく振舞って欲しいと望むことは、相手の自由を奪う行為のようです。

 

 

 

 

なんとなくこの人といると、自由を奪われているような気がする。

こっちも良い人っぽくしていなきゃいけないみたいな、まるで誘導尋問をされているみたいな気持ちの悪さを感じる。

この人は「私を好きになりなさい」という圧がすごすぎて、一緒にいると窮屈だ。

 

 

一生懸命好かれようとする人ほどそうやって嫌われていくんですね。

ああ、身に覚えがありすぎて穴が合ったら入りたい…。

 

わたくしは他人の心の気づきを見くびっていたのでしょう。

 

偽善者であった私にとって身震いするほど苦しい言葉ですが、本当にそういうものです。

 

 

そもそも好かれようとしちゃダメなんですね。

 

 

私はあなたに好かれても嫌われてもどっちでもいいから、好き勝手やるわね。

あんたもお好きにどうぞ。

 

そう言ってもらった方が確かに気が楽な気がします。

 

 

そう気が付いたら、私があまり人に好かれない理由がわかった気がします。

認めたかないですがね、認めざるを得ませんw。

これからは人に好かれようなんて思わずに、自分の好きなように生きてみます。

 

 

 

 

読んでくださってありがとうございました。

つづく。