ちょこらく喫茶店

ああ、身も蓋もない

普通ということ

ちょこらく喫茶店の中屋裕喜です。

 

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さて、本日は普通についてです。

 

普通てなんだ

 

ググりますと、

 

いつどこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特にことなる性質をもっていないさま。

 

とあります。

 

うん。そうでしょうね。普通。

生きていて一度くらいは「普通てなんなん」と考えたり悩む機会があったかと思います。

ああだこうだと考えるのにはちょうどいい悩ましさを孕んだ言葉だと思います。

 

この言葉について書くことは踏み絵のような怖さがあります。

己の薄っぺらさが試されるときです。

くだらない結論を出したらめちゃかっこ悪いのが、「普通」という言葉の魔力でしょう。

実力以上のことはできないのが人間です。

恥をさらすことは避けられないかもしれません。

しかし腕試しだと思わずに、ネットの向こうにいる見えない誰かを励まし勇気づけることができたらどんなに意味があるだろうと、そう思って筆を執ります。

 

 

結局、劣等と優越なのかい

 

 

「自分は皆と違う、特別な存在だと思われたい」

「皆が当たり前にこなしていることが、なぜ自分だけ上手くやれないんだ」

    ↑

この2つの言葉を同一人物が放ったとしたら私ならこういいます。

「なぜなら君が特別な存在だからだよ。ふっふっふ」

 

 

自分がありふれた存在から抜きんでて、優れている状態にあれば普通じゃなくてもかまわない。

有象無象エリアから大気圏突破ができる特別に優れた人間である分にはかまわない。

けれど、

自分が平均的な数値を下回る状態だったなら普通がうらやましい。

平均値に近い結果だった人たちと自分との違いに、ネガティブな感情が生まれる。

 

普通てそんなもんじゃないでしょうか。

 

もう一つ付け加えるのであれば、

とびぬけて頭のいい人で、平均的な人々との差異に日常生活のなかでちょいちょい悩まされている人もいます。

これは対人間のカルチャーショックみたいなものだと私は考えています。

悩む側もあまり気にかけず、悩まれる側も過度にひがまず、仲良くやればいいと私は思います。

いろいろな人がいますが、所詮我々は「人類」という共通項を持っています。

広い宇宙の中では大差などありません。

 

誰もが自信をもって生きていいはずだと私は思います。

 

 

普通かどうかは果たして問題なのか

 

普通だったらどうなのか。

普通じゃなかったらどうなのか。

 

 

「普通」「普通ではない」という言い回しと自分の人生には、なんの因果関係もないことがやがてはわかると思います。

 

普通じゃなかったがために苦しい思いもしたが、普通じゃなかったがために特別な思いも出来た。

普通だったがために苦しい思いもしたが、普通だったがために特別な時間を分かち合えた。

 

とかです。

 

ようは普通であろうと普通ではなかろうと、人生には苦しい局面があり、特別な局面がある。

普通であったか普通でなかったかよりも大切なのは、

「自分はベストを尽くしたのか」

ではないでしょうか。

今ある状況の中で、その時の自分ができることをやったのか。

大切なのはそこなのではないでしょうか。

 

 

最後に

 

ちょっと言葉をもてあそぶようなことをしてしまった気がしないでもないです。

それに少し厳しい言葉に感じた方もいらっしゃるかもしれません。

この言葉が、誰かを労り励ますものであるようにと願っています。

 

 

ご来店ありがとうございました。

またいらしてください。