ちょこらく喫茶店

ああ、身も蓋もない

会話を通じて誰かと繋がりたい

 

 

ちょこらく喫茶店の中屋裕喜です。

 

クレバーな方たちとのお茶会に参加してまいりました。

私、少し無理をしてしまいました。

 

 

 

今回は「よそ行きの自分」についての悩みを記します。

 

 

難しい話と自己嫌悪

 

お茶会にお呼ばれしてまいりました。

 

そこでMMT理論について教えてくださった方がいて、そもそも私はその理論を知らなかったので、家に帰って復習をしました。

その場で上手く理解できなかったのですが、復習をして概要がわかるようになるとひとしおの気分でありました。

 

国際情勢の話も全くついて行けませんでした。

それでもたくさんのことを教えていただき、とても楽しかったです。

 

 

問題はここからです。

 

 

なんだが難しい話に参加できていることがうれしすぎで、

ちょっと私も齧りたての株の話をしてみたり、

いい気になって昨夜見たユーチューバーの受け売りをしてみたりw、

私は自分の身の丈以上のことを話そうと必死でした。

最近私は新しいことを始めたりもして、気分がにわかに上昇志向っぽくなっていたのもいけませんでした。

 

紳士淑女の集まりでしたので、誰もが私をバカ扱いせずに仲間に入れてくださりました。

 

 

お開きのときが来て、席を立った時には我に返っておりました。

「ああ、おとなしく黙っときゃよかった…」

 

 

お調子者の自分が出ると私は自己嫌悪します。

 もともとが自意識過剰気味なのでこうなるのです。

なんだか太宰治の小説のようだとおかしくなることもあります。

 

 

誰かと会う時には過剰に頷くし、過剰に話をしようとしてしまいます。

本来の私は覇気がなく、たいてい横になっています。

 

 

それがですね、

 

誰かと対話ができるとなると、話したいことは尽きません。

 

会話を通じて誰かと繋がりたいですし、そうすることが楽しいのです。

 

 

ままま、

 

 

ちょっと頭がおかしい人がいても、大人の世界ではその人をいきなりはじき出したりはしないのであります。

 

 

私とて、誰かがちょっと頭がおかしくても仲良くします。

頭がおかしい人でも一緒にいて楽しい人とは一緒にいます。

 

 私がたとえ頭がおかしかったとしても、それでもなお一緒にいてくれる友があればそれはとても大切な存在です。

 

周囲の人の善意を信頼して、ありのままの自分を受け入れてもらうのであります。

 

そもそも私は頭がおかしいのではなくて、毒にも薬にもならない人かもしれません。

もしそうであったらならばどんなに良いかといつも繰り返し思います。

 

 けれどきっと誰かとよりよい関係で繋がれたら、そんなことはどっちだってかまわないのであります。

 

 

 

 

 

最後までおつきあいいただきましてありがとうございました。

ではまた。