ちょこらく喫茶店

ああ、身も蓋もない

偽りの好意

 

 

ちょこらく喫茶店の中屋裕喜です。

 

 

自分を慕ってくれる人や自分を好きになってくれる人との人付き合いは、初めのハードルがとても低いです。

 

なぜなら相手から近づいてきてくれるし、相手が自分に関心を示してくれるからです。

 

もしも、

その心地よい状態を作り続けてもらいたいがために、こっちも相手に好意を示しちゃえという関係性に陥ってしまったとしたら?

それって健全な関係として継続できるのだろうか。

    

今回は、偽りの好意についてです。

 

 

 

 

 

失敗に学んだこと

 

多くの人が一度は通る道かと思いますが、好きと言われて好きになる。

要はまあ、状況としては色恋沙汰。

今になって思えば、色恋沙汰に限らずすべての人間関係に通ずる失敗でありました。

 

 

相手の好意があまりに心地よかったので、相手が私にずっと好意を寄せてくれるように、自分も好きなふりをしました。

これが私の取った行動でした。

 

そういった好意のやり取りを徹底的に排除することはちょっと難しいなと思うのが正直なところではあります。

 

とはいえあまりに利己的な偽りの好意を、「もてあそぶ」というのだと気づかされました。

 

関係性は単純に「好きならばそれだけでいい」とならないのが人間のようですね…。

 

相手に対して自分の時間が費やせるかお金が費やせるか、相互にそれを「好き」のバロメーターにする関係もあるでしょう。

 

相手が自分をどれだけ好きでいてくれるのか、今日も好きでいてくれているのか、明日も好きでいてくれそうか。

あの手この手で確認しないと気が済まない人もいるでしょう。

 

それがいけないとか愚かだとかそういうことではなくて、ただそういう関係もあるという話なのであります。

 

 

 

 

ただ、

偽りの好意で引き延ばされた相手からの好意が心地よかったのは最初だけでした。

そのために代償を支払っていると気づくととたんに、自分の心が蝕まれていくような、そんな心地の悪さを感じるのでした。

 

  先に状況に飽きはじめたのは私のほうでありました。

 

私はもう相手の好意を持続させなくてもいい。

気が済んじゃった。


そうなったときにようやっと深く反省をしたのでした。

 

 

 誰とどのように付き合って行くのか。

自分を慕ってくれる人には感謝は伝えるのは大事だと思います。

けれど、見返り欲しさに人に親切にすることは自分の事だけを考えた行為だと気が付きました。

見返りを求める心は、

「せっかく親切にしてやったのに、なんだよその態度」

といった恨みを生む。

 

 

結局、

 

今日は「好き」でありがとう。明日はどっちでも自由だから気楽にね。

相手に対し、心からそう言えることが本当の好意かなと思うのであります。

 

 

 

 

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

ではまた。