ちょこらく喫茶店

ああ、身も蓋もない

何がなくとも自信を持てるか?

ちょこらく喫茶店の中屋裕喜です。

 

ただいま宅建士の試験勉強中です。(投資の種銭欲しさに転職を考え中です)

今日は平成30年度の過去問をやりました。

まあ撃の沈でありました。

それでも何も考えずに岩を穿つように過去問を解くだけですから、それでいいのであります。

 

今回のテーマは、武装する自分とその葛藤についてです。

 

 

 

「いいカードのおかげで人格者」は努力賞かラッキー賞

 

 

どんなに不利な状態であっても、「私が私として生きていることに満足をしている」という人が一番かっこいいと私は思います。

それって結構むずかしいんですよね。

いいカードを持っているから人格者になれるなんて、あたりまえなのではないかと思う時があります。

 

それが難しいから、私はなにがしかの努力を試みてきました。

 

自信が持てる「よすが」となるものを得ることで、自信やゆとり、満足、人格者的振る舞いを手に入れようと必死の人生でありました。

 

いいカードコレクターにならずに人格者でいることは超絶かっこいい。

 

 

芸能人の出川哲郎さんをテレビ拝見したとき、私は若年者でした。

ある時出川さんの姿に、私はとても感動したのを覚えています。

 

「美男子でスタイルも頭も良くて、他にも何かと恵まれている人が、ある日突然出川哲郎になったら、その人格者っぷりを維持できるかな。あんなに余裕たっぷりのかっこいい姿からいきなりうろたえて自信を失ったりしてね」

 

と痛烈に思った記憶があります。

この人は特別かっこいいわけでも特別記憶力が良いわけでもないのにどうしてこんなに穏やかでおおらかで、人格者でいられるのだろうと思ったのであります。

 

本物のカッコよさに触れた気持ちになりました。

 

もともといいカードを持っている人や、努力を続けられる精神力や体力がある人が、それに支えられて人格者になっているだけだとしたら、ある日それを剥奪されたらどうなってしまうのだろう?

 

もし自分が今の自由な身体を奪われるような状況が起きたら?

もし自分が今の体力をすべて奪われるような状況が起きたら?

それでも自分がおおらかで穏やかで人格者でいられたらどんなにかっこいいだろう。

 

今だって人に哀れまれたっておかしくないカードしか持ち合わせてはいませんからね、私。なんだかちょっとおかしな話をしていますけれどもねw。

ふふふ。むふん。むふん。

 

 

自分を尊重するのにいいカードは必要ない

 

背が低いから自分に自信が持てない。

頭が悪いから自分に自信が持てない。

顔が不細工だから自分に自信が持てない。

デブだから自分に自信が持てない。

貧乏だから自分に自信が持てない。

 

私は自分に問いかけました。

自分に自信を持つためにそれが必要だとしたら、誰かの賞賛がないと自信が持てないということにならぬか。

「いや違う。私は自己満足のためだけにいいスペックが欲しいだけなんだ」は通用しないぞ。

 

プライドが自分を守る砦だということは否定しません。

それでも私は自分の殻を破りたい一心であります。

 

なんて言いつつ、宅建取れちゃったりなんかしたらそれを「いいカード」と認識して、だわだわと得意になりそうな自分が怖すぎて、吐きそうです。

 

私が過去に誰かからの賞賛を得たいがためにしてきた努力の数々は、結局続きませんでした。

 

血反吐がでるほど頑張ったって、

「偉いね。頑張ってるね。うんうん。いいんじゃない?ところでさ来週みんなでどっか遊びに行かない?え?来週は忙しい?ああそう。いける人たちで行くからいいよいいよ」

他人とはこんなものではないでしょうか。

私だって他人に対してはそうです。

誰だって私を賞賛するためだけに生きているわけではありません。

 

また、どんなに自分が満足する結果を得られても、他人が耳元で

「ふ。まだ全然じゃん。もっとすごい人見たことあるし」

と囁いたら、また自分に自信がなくなってしまうのでしょうか。

不毛ですね…。

 

そうだとしたら、やればやるだけ自信を失ってしまいそうです。

世の中から批判はなくなりませんし、上には上がいるものです。

その先には死。

なんて状況だってけっこうすぐそばにありますよ…。

 

 

最後に

 

私が自分に満足することに根拠はいらない、ということを忘れないようにしたいと思います。

 

 

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

ではまた。