ちょこらく喫茶店

ああ、身も蓋もない

塀の向こうに人がいるのか、いないのか

ちょこらく喫茶店の中屋裕喜です。

 

宅建の勉強をしています。

今日は平成29年度の過去問です。

風邪薬を飲んだら眠気がさして問題が解けません。

仕方ないのでいったん中断してブログを書いています。

 

 

今回は、ものは考えよう についてです。

 

 

塀の向こうに人がいるのか、いないのか

 

 

高い塀に囲まれている敷地があります。

 

生きる途中には、この塀のようなものを感じることが必ずあります。

その高い塀を作ったのは紛れもなく私なのでしょう。

他者と自分を分かつ膜くらいは誰もが持っていることでしょう。

 

何が言いたいかといいますと、

 

自分からは見えないことがある。

相手からも見えないことがある。

 

世界はそういうもの、と言いたいのであります。

 

塀の向こうが見えないが、我々は塀の向こうに人がいるのかいないのかを想像する脳を与えられている。

 

 

足もとに石が落ちていたので、塀の向こうに投げてみたくなった。

投げたら人がいて、急に飛んできた石に当たって死にました。

とかね。そういうことであります。

 

塀の向こうに誰もいないと思って、心の苦しさを壁に向かって吐露したら、

「ドンウォーリー。あなたは一人じゃない」

という声が帰ってきた。

とかね。

 

塀の向こうにはたくさんの民衆がいて、皆が最強のボスを希求している。(ミニオンのように)

そう期待して「私が最強のボスとして素晴らしい話を聞かせてあげましょう」と私が自分の思いを語り始める。

 

本当は、塀の向こうには誰もいなかった。

あるいは、塀の向こうにも最強のボスとしての訓示をたれている私のような人間がいて、お互いに相手の話なんて聞いちゃいなかった。

あるいは、「あいつ誰?」「さあね」「うるさくない?」「工事中だと思えばいいさ」

なんて話している人たちが時折通り過ぎるだけだった。

 

とかですねw。

 

 

まあ、ブログを書いて、ツイッターで発信しているとですね、

そういう感情が湧きます。

それでまあ、落ち込むわけです。

むふん。

 

これも勉強であります。

 

それでも私は黙りません。

誰を受け入れて誰を排除するかを誰もが自由に選択できるシステムに感謝しています。

自由とはそのためのものと思うのであります。

 

つまり塀の向こうには必ず誰かがいると私は信じています。

その中のほぼ全員の人が私を排除したとしても、たった一人でも言葉を通じて私と共鳴し合える方がいてくれたならそれでいいと思います。

 

むしろそれこそが対人関係の基本だと私は考えるのであります。

誰かじゃなくて、あなたに届け。

 

そう思えば、文句たれてばっかりなんてことも、

独りよがりの気が滅入る繰り言を唱え続けることも、

控えたくなるものであります。

まだまだ上手くできないときもありますけれどもね。

 

 

世界のどこかで、独りぼっちで悩んでいる方にこのブログが届いて欲しいです。

その塀の向こうに、あなたを傷つける気なんてない私が確かにいますと。

その塀の向こうに、あなたと共感できる気がする私が確かにいますと。

あるいは、

その塀の向こうに、あなたを必要とする誰かがいますと。

その塀の向こうに、あなたに賛同する誰かがいますと。

そう伝えてみたいのであります。

 

 

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。

ではまた。