ちょこらく喫茶店

ああ、身も蓋もない

飽きて投げ出し、なにも身に付かない

 

ちょこらく喫茶店の中屋裕喜です。

 

 

宅建合格を目指して過去問を解いて過ごしております。

わたくしの頭脳ではとてもとても困難な道のりであります。

ときに、世界中のごみを拾い尽くそうとしているかのような無力感に苛まれますが、

それは間違いなく被害妄想なので、忘れるようにしております。

 

 

今回は、何でも飽きて投げ出し、なにも身に付かないことについてです。

 

 

もう投げ出したくない

 

 

飽きるかどうかは問題ではないのであります。

 

目的を達成するために始めたのに、

目的を達成できない理由が「飽きた」「嫌になった」

というのはあまりにも非合理的であります。

 

物事を始めるのは、目的を達成するためであります。
それだのに目的を得ずに途中で投げ出してしまったら、
つじつまが合わないのであります。

 


そもそもさほど手に入れたくない目的であれば、
最初から取り組まなければ世話ないのであります。

 

 

結論わたくしは、飽きても投げ出さないが最適解とあいなりました。

 

 

くじけそうになったらわたくしはいつも思い出すのであります。
自分は何がしたいのか、何がしたくてこれを始めたのか。
そうすると、やる気がわいてくるのであります。


好きな音楽も聴くのであります。
ときにバッハが励ましてくれて、ヘンデルがうなずいてくれるのであります。

 

 

 

 

 

よく考えてみたらば、

そもそも飽きても投げ出す必要はないのであります。

理にかなうやめるべき要因が無い限り、続けたらいいのであります。

飽きても続ける理由があれば人は続けるものであります。

 

 

わたくしの乱暴な人生においては、そのくらい乱暴な理論でとこ足りるのであります。

 

 

わたくしは今までの長い歳月を、他人の意見や顔色に左右されて過ごしました。

他人に「くだらない」と言われれば嫌気がさして投げ出し、

他人に負けたと言っては腐って投げ出したのであります。

 

その結果、何一つ満足にものになりませんでした。

勉強もそうそうに投げ出してしまったので、

いわゆる人並みに届かないのでありました。

 

 

空虚でみじめな気持ちを味わったのであります。

 

 

そっから紆余屈折を経ての経て、

飽きたくらいじゃ投げ出したくないと思うようになったのであります。

 

 

 

わたくしは皆さまの思いが成就することを願っております。

 

 

あ、飽きるについては、ニーチェさんも呟いておられますよ。

 

korokoroさんとおっしゃる方のブログを拝見いたしました。

わたくしにとっては、はじめて出会うニーチェさんでありました。

 

 

「飽きるのは自分の成長が止まっているから」

 

ameblo.jp

 

 

 

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

ではまた。